理事長挨拶 ~初めまして!さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック 和光市駅前院 理事長の吉良文孝です~ 

理事長

ご挨拶

理事長

おなかの悩みから解放されることで
人生を楽しく過ごせるお手伝いをしたい


この度埼玉県和光市の和光市駅前の地に消化器内科(胃腸科)、内視鏡内科(胃カメラ、大腸カメラ)、肝臓・胆嚢・膵臓内科のクリニックを開業させていただくことになりました。

さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック 和光市駅前院(仮)はまだ仮の名称ですので、和光市駅前に胃カメラ・大腸カメラと肝臓内科のクリニックがオープンすると覚えておいていただけると嬉しいです。

私は現在池袋近く豊島区の東長崎で一般内科・消化器内科・内視鏡内科・肝臓内科のクリニックを2018年より開いております。
今回和光市でのクリニックは当グループ2軒目のクリニックになります。

今回和光市駅で開業をするに至った経緯ですが、当院で行っている内視鏡検査や医療をご評価いただいており、東長崎のクリニックにも和光市、志木市、朝霞市など埼玉県からの胃カメラ・大腸カメラ・肝臓内科の患者さんが多くいらっしゃるようになりました。
多くの患者さんに対応させていただく中で、東長崎だけでは十分な医療提供が困難になってきたため、多くの患者さんがいらっしゃっている和光市・志木市・朝霞市の近くでの分院展開を検討していました。
また東長崎に開業をする前に和光市駅での開業を考えていたこともあり、和光市という地に注目をし続けていました。

今回その和光市駅前にご縁をいただき、南口から徒歩1分圏内に分院を開設させていただけることとなりました。
当院は和光市駅目の前のため、埼玉県の和光市、志木市、朝霞市や東京でも成増・赤塚など板橋区・練馬区などの地域からアクセスが良好です。東武東上線・有楽町線・副都心線沿いの方に広くご利用いただきやすい場所となります。

今の当院のミッションである
「おなかの悩みから解放されることで人生を楽しく過ごせるお手伝いをしたい」
に向けて和光市駅前の地で地域の皆様に貢献をしていきたいと思っております。

全てにおいて一歩を行くクリニックを目指してさいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック 和光市駅前院をよろしくお願いいたします。

東長崎駅前内科クリニック、さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック 和光市駅前院
代表理事 吉良文孝

 

2003年3月東京慈恵会医科大学 医学部医学科卒業
2003年4月~2008年3月

大学病院での高度かつ専門的な研修よりも幅広くて身近な地域中核病院での研鑽を希望し、
東京警察病院にて初期臨床研修を実施

2008年4月~2011年3月内科全般や救急全般を学ぶ
その後、技術を身に着けるため、東京警察病院での初期および後期研修に参加した後、消化器内科に入局
2011年4月~2017年3月技術と知識の更なる向上のため、新しく環境を変える必要性を感じ、全くの新天地である
JCHO東京新宿メディカルセンター(旧東京厚生年金病院)の消化器内科医長に着任
2017年4月~2018年5月知識向上を図るため、JCHO東京新宿メディカルセンターの非常勤医師として勤務
株式会社サイキンソーにCMEO(Chief Medical Officer)として参画
し、様々な新しい技術や知識に触れ、経営やチームマネジメントなども未経験領域も多く学ぶ 自身の実現したい医療を模索するために、都内内科クリニックや健診専門クリニックや医師会など様々な医療現場での勤務も並行
2018年6月様々な業種の方のご支援やクリニックのスタッフにも恵まれ、西武池袋線東長崎駅前に
「東長崎駅前内科クリニック」(内科・胃腸科・内視鏡内科・消化器内科)を開設
2023年5月東長崎駅前内科クリニックの分院である
「さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック 和光市駅前院」(消化器内科・胃腸内科・内視鏡内科)を和光市駅前に開設

資格

  • 日本内科学会認定 認定内科医
  • 日本消化器病学会認定 消化器病専門医
  • 日本消化器内視鏡学会認定 内視鏡専門医
  • 日本肝臓学会認定 肝臓専門医
  • 日本消化管学会認定 胃腸科指導医
    日本糖尿病学会
  • 日本ヘリコバクター学会認定 ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)感染症認定医

わたしたちにできること

医師キャリア20年で培った内科医・消化器内科医・内視鏡医・肝臓内科医としての知識と経験を活かし、和光市の近隣地域の皆様に安心で安全な医療を提供し、皆様の「人生」「生きがい」をサポートさせていただきたいと思っております。

これからの新しい消化器・内視鏡・肝臓診療をみなさまに

現在、病気の多様化、医療の高度化・専門家が進んでおります。今までは総合病院でしかできなかった検査や治療が、地域のクリニックでも実施が可能な状況が整いつつあります。
超拡大間観察が可能な胃カメラや大腸カメラ、AI内視鏡などの内視鏡機器、フィブロスキャンなどの肝臓診療機器、内服で治療可能な肝炎治療薬や炎症性腸疾患治療薬、In dobyなどの体組成測定検査など様々な最新の検査機器。治療が登場しております、
当院におきましても、地域の皆様に専門かつ高度な消化器・内視鏡・肝臓診療を提供すべく日々精進をし、初心を忘れずにこれからも組織全体の成長に全力で向き合っていきます。
和光市地域と一緒にクリニックが成長し、地域でお腹の悩みを抱える方がゼロになりようにサポートしてまいります。

理事長の生い立ち

私が開業を決意した理由、考えについてご説明いたします。
私は医療従事者である一方で、患者様のありのままの社会に接し、皆様と近い距離で触れ合うことを日々重視しております。
そういったやり方をしているからこそ、医療現場の最前線にいらっしゃる患者様へ思いやりのある医療をお届けできると信じています。

1.生後2ヶ月という早い時期に外科手術、現代医療のお世話になる

生い立ち1978年に私は平均的な体重で生まれました。しかし、生まれてからは食べ物をうまく飲み込めず、どんどん体重が減っていったと聞いています。そこで、心配した親が病院に連れて行ったところ、肥厚性幽門狭窄症という病気が判明し、生後2か月で外科手術を経験することとなりました。私の腹部には今でも当時の手術跡が残っています。自分の命を救ってもらった経験から医師を目指したという訳ではなく、当初は単に感謝の気持ちを持っていただけでした。

2.自分のやりたいことは最後まで粘り強く取り組むことが大切だと学んだ学生時代

生い立ち幼少期は自分の工作が美術館に展示されるなど、手先が器用だったこともあり、朧げに手先を動かしてものづくりをする仕事を希望していました。
また、好奇心が旺盛な子どもでしたので、考古学者のような新たな発見が多い職業にも憧れがありました。中高ではサッカー部で活動していましたが、運動神経が良い方ではなかったので、そこまで目立った活躍はできませんでした。しかし、受験勉強のため早々と部活を引退する友人が多かった一方で、私は高3の夏まで部活動を続けており、最後まで粘り強く取り組むことの大切さをこうした経験から学ぶことができたと思っております。
中高時代は素行が良くない時期もあり、両親の手を煩わすこともありましたが、どんな時も見放さず大学進学まで支えてくれたため、感謝の気持ちで一杯です。

3.医学部の面接で何気なく話した「医療によって患者様の人生をサポートする」という言葉が、私を医療に導いてくれた

生い立ち進学直前まで医学部と建築学部のどちらを選ぶか決めかね、結局どちらも受験するという無謀な行いをしました、しかし、医学部の面接でなんとはなしに言った発言がきっかけとなり、医学部への進学を決めることとなりました。
「建築家が家を建てる際に施主の人生を豊かにするように、医療によって患者様の人生をサポートしたい」
医療によって病気の治療をしたいという気持ちも当然持っていましたが、私はどちらかと言うと患者様の人生に向き合い心の拠り所となりたいという気持ちが強いとわかりました。これは、診療医だった父の背中を子どもの頃から見てきたためだと思っています。また、新たな発見がしたい、手先を動かす仕事がしたいという私自身の志向にマッチしていたとも考えられます。

4.医療業界から飛び出してバー・居酒屋などの接客業のアルバイトを頑張った医学部時代

生い立ち医学部ではハンドボール部に所属しており、実力は中高時代のサッカーと同様に中の下くらいでしたが、医師国家試験の直前まで活動していました。
みなさんも知っている通り、医学部に6年間通って卒後試験をクリアできれば、社会人経験はさておき世間からは”お医者様”として注目されます。私は”お医者様”と呼ばれる前にしっかり社会経験を積んでおきたいと考え、バー・居酒屋などの接客業のアルバイトに注力しました。お客様の前で膝をついて注文を受けることや、理不尽なクレームを浴びせられるなど日々新しい経験ができました。朝方までバイトをしてから通学し、放課後は部活動に参加する日々が続け、学業に悪影響が出る寸前まで自分を追い込んでいました。
また、日本での社会経験のみならずグローバルな社会・文化を経験することもありました。大学時代の友人とバックパッカーとして、ヨーロッパ、カンボジア、タイ、メキシコなどを誰の力も借りず費用も切り詰めて旅行しました。カンボジアで飲んだ生ジュースでお腹を壊してトイレットペーパーが手放せなくなったり、英語が伝わらないフランスの田舎で電車を逃してどうにもならなくなったり・・色々な経験を旅の中で味わいました。
学業以外でも大学生活に得た経験はかけがえのないものだったと思っています。

5.最先端ではなく最前線を希望し、最先端の大学から最前線の市中病院へ就職

ピラミッド医学部卒業後は大学病院へ就職する人が多い時代に、私はあえて市中病院への就職を選びました。
話は少し脱線しますが、医療施設はそれぞれ異なる役割を担っていると私は考えます。

 

  • 最先端の医療を研究する研究施設
  • 開発されて間もない医療を実際の現場で試す大学病院などの最先端施設
  • 最先端医療を一般に拡散していく一般病院
  • より幅広い方を対象とする開業医。下に行くほどジェネラリスト気質が強くなり、複数の疾患に対応するようになります。

最先端医療にも関心がありましたが、私は最前線で患者様と向き合いたいと考え一般総合病院へ就職しました。研修医時代は集中治療室で患者様の容体を見守るため、何日も家に帰らないという経験もしました。苦労が絶えませんでしたが、あらゆる経験を積むことができたことは大きな財産となっています。致死的不整脈、急性心筋梗塞をはじめ様々ながんの抗がん剤治療を担当し、また、内視鏡検査や血管カテーテル検査など内科医対応する可能性がある手技を包括的に経験できました。

6.消化器内科医として。研修が終わっても市中病院で内科全般から救急診療に至るまで対応する

生い立ち開業医になることは昔から考えていました。手先を動かして独力で何かを遂行できるテクニックを身につけたいという考えから、研修終わってからは消化器内科の道に進みました。大学に戻るタイミングもありましたが、消化器内科医として最前線で患者様に向き合いたいという思いが強く、引き続き市中病院に残る決断をしました。大学病院では、炎症性腸疾患・各種消化器がん・肝硬変・C型肝炎などの肝疾患、胆石・機能性胃腸症・急性膵炎などの胆膵疾患は細分化されていますが、市中病院ではそうではなく横断的に経験を積むことができました。担当する患者様が糖尿病や循環器系疾患など消化器系以外の疾患を患っている場合も、私が診療を行うことが可能となりました。市中病院にいたからこそ、当直で内科全般の救急診療を経験できたと思っています。

7. 保険診療以外の最新技術導入を視野に入れ、開業を決意。直前の1年間はフリーランスで他業種の社会と人と交流

生い立ち大学病院などの組織の中では、保険診療以外で良い治療があっても導入が難しく、患者様一人ひとりに合わせた治療も行いにくいため、だんだんと窮屈に思うようになりました。
最近は技術の進歩で最新の技術を学んで導入しやすくなっていることもあり、自分が開業することでやりたい新しい医療を備えた、最前線の現場が実現できると考え、開業することを決意しました。開業する前は組織を離れてフリーランスとして活動し、実現したい医療を1年かけて模索しました。様々な業者の方とも自ら会うために行動を起こして、様々な方とご縁をいただき、じっくりと話を伺うことができました。他にも、子どもが通っている学校のPTAの役員や、教育関係者の会合に参加、ゲーム会社の方とゲームの制作、AIや瞑想の勉強会など様々なことに挑戦しました。そして、他の領域で開業して成功している医師の方々にもご縁があり、その中で考えが合って協力しあえる梅華会と出会い、東長崎駅前内科クリニックの開業にいたりました。回り道もしながら、今までの経験が点と点が繋がっていることを実感しています。
そしてこの度、当院の提供している消化器・内視鏡・肝臓診療を多くの方からご評価いただき、和光市にご縁をいただいたことで「さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック 和光市駅前院」を開院させていただけることになりました。

みなさまの生活と心に近い、人生に寄り添う存在になりたい。

みなさんはできることなら病院には行きたくないと思っている方が多いかと思います。そのため、当院は、本当は病院に行きたくなかった患者様でも気楽に相談していただけるクリニック、そして、患者様のお腹に関する悩みを解消して人生を豊かにするサポートができるクリニックでありたいと考えております。
長文にもかかわらず最後までお読みいただきありがとうございました。
今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

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