院長・副院長・常勤医師のご紹介

医師のご紹介

さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック和光市駅前院
院長 小幡和彦

小幡分院長初めまして。この度さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニックの院長を務めさせて頂くことになりました小幡和彦と申します。私は2010年に東京慈恵会医科大学消化器・肝臓内科に入局し、大学病院をはじめ関連病院である厚木市立病院や西埼玉中央病院などで消化器内視鏡診療や肝胆膵疾患診療を中心に従事して参りました。2020年からは八王子おなかクリニックにおいて,いままでの経験を活かし多くの外来診療や胃大腸内視鏡検査・治療を行ってきました。肝臓専門医としてはB型・C型肝炎などのウイルス性肝疾患,原発性胆汁性胆管炎などの自己免疫性肝疾患をはじめ、近年増加傾向にある非アルコール性脂肪性肝疾患(NAFLD)の診療にも力を入れております。また、コロナ禍を通じて心身の健康を保っていくことの重要性を改めて痛感し、高血圧,糖尿病,脂質異常症などの生活習慣病に対する診療や生活指導も行っております。
私の医者人生の中で最も大切にしている慈恵医大の理念である「病気を診ずして病人を診よ」の教えを大切にし、常に患者さんやその家族の目線で質の高い診療を行っていく所存です。病気や自身の健康に対する不安や悩みがありましたらどんなことでもお気軽にご相談ください。皆様が安心して受診して頂けるクリニックを目指して努力していきたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

プロフィール

誕生日1982年7月19日
血液型O型
趣味筋トレ・スポーツ全般(特にサッカー)

生い立ち

「いつも医師である父の姿をみて育ちました」

1982年7月19日に小児科医の父と専業主婦の母の間に生まれました。幼少期はかなりひどいアレルギー疾患(アトピーなど)を患っていましたが、小児アレルギーが専門である父のお陰で青年期にはほとんど気にならなくなりました。そんな父をみて医師になりたいと思っていましたが、中高時代の私の学力はひどいもので、そもそも医学部とは無縁な工業大学附属中高で学生時代を過ごしました。勉強はほどほどに、友達と放課後にサッカーをしたり休日に遊びにいったりと充実した6年間でした。工業なので実験の授業が多かったのですが意外と楽しかった記憶があります。そんな生活の中で友人や先生との深い繋がりができ、大人になってからもプライベートで会う仲間がいて本当によかったと思っています。

「現役合格は叶わず、浪人生活へ」

さすがに工業高校から現役ではいかず、浪人生活が始まりました。たしか50前後の偏差値でしたので普通に考えると1年間の勉強で合格できるわけがありませんが、不思議と(?)来年自分が医学生になっている姿が想像できていました。高校時代は医学部に入るだけの学力はもちろんありませんでしたが、諦めず考えつくすという執念だけはあったのかなと思います。受験2か月前くらいにようやく勝負できる状態になり、無事2002年に日本大学医学部に入学することができました。

「医学部時代は6年間の部活動や同級生同士で交友を深め」

入学してから身長が高いこともあり先輩に勧められバレー部に入部しました。まったくの素人でしたが、週3回先輩に指導していただき3年生くらいから試合に出られるようになりました。医学部なので試験も多く基本勉強第一なのですが、東医体など大きな大会もたくさん経験し、結局6年生の秋まで部活動を続けていました。またアルバイトなど医学部にいるとは思えないくらいの時間を過ごしたのも良い思い出です。同級生同士の輪もあり留年や国試浪人をすることなく無事2008年に医師になることができました。

「消化器内科医になる」

分院長私は学生時代、父と同じ小児科医になることを考えていました。しかし、年代に関わらず多くの患者さんを診たいという気持ちが強くなり卒業前に内科医になることを決めました。初期研修が終わり、3年目から東京慈恵会医科大学附属病院で後期研修をスタートしました。内科をローテートするのですが、肝胆膵疾患から消化管疾患まで幅広く診断することのできる消化器内科に魅了され、消化器・肝臓内科に入局しました。大学病院で診療を開始し、その後地域医療でもっと患者さんを診たいという気持ちが強くなり医師7年目から厚木市立病院へ出向しました。肝胆膵疾患を中心に診療をし、厚木に住んでいましたので休日や夜間も緊急内視鏡で呼ばれることもありました。辛く大変な時期もありましたが慈恵医大の諸先生方に助けられ、またご指導ご鞭撻も頂き医師人生の分岐点になったと痛感しております。

「コロナ禍での診療で感じたこと」

分院長地域の消化器診療にもっと携わりたいという気持ちが強くなり慈恵医大を退局後、2020年4月より大学関連医療機関である八王子おなかクリニックで勤務を開始しました。当時はちょうど緊急事態宣言が発令され強い行動制限がかかっていましたので、受診者が減り消化器内科医として満足のいく診療ができませんでした。そのような状況の中、どうしたら患者さんが安全安心に検査や治療を受けられるのかを試行錯誤しました。様々な感染対策を試しながら、コロナ禍の3年間で約5000件の胃大腸内視鏡検査を行うことができました。患者さんにとっても医療者にとっても大変な時期ではありましたが、私自身貴重な経験から学ぶことができたと思っています。またコロナ禍で感じたことは、内視鏡検査で異常がなくても、食欲がなく胃がもたれる、おなかが張って下痢をするなどの症状を訴える方が老若男女問わず増えているということです。このような状態は機能性消化管疾患(過敏性腸症候群や機能性ディスペプシア)の可能性があります。機能性消化管疾患と診断した際は、まずはしっかりお話を聴き一人一人に合った生活のアドバイスや内服治療(漢方薬を含めた)を行っていくようにしています。 受診された皆様の気持ちに寄り添い、症状が1日でも早く良くなるようお手伝いが できればと思っております。

経歴

2008年日本大学医学部卒業
2008年~2010年東京医科歯科大学附属病院(初期研修医)
2010年~2018年東京慈恵会医科大学附属病院
独立行政法人国立病院機構西埼玉中央病院
厚木市立病院
東急病院
2019年~2020年吉祥寺南病院
消化器内科医長
2020年~2023年医療法人社団おなか会 おなかクリニック
内視鏡センター長
2023年~さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック和光市駅前院 院長

資格

  • 日本内科学会 総合内科専門医
  • 日本消化器病学会 専門医・指導医
  • 日本消化器内視鏡学会 専門医
  • 日本肝臓学会 専門医
  • 日本ヘリコバクター学会 認定医
  • 東京都難病指定医(消化器)

さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニック和光市駅前院
副院長 藤岡 直子

初めまして。この度、さいたま胃腸内視鏡と肝臓のクリニックで診療させていただくことになりました藤岡直子と申します。
私は1993年に防衛医科大学校を卒業、内科学第2講座に入局し、防衛医科大学校病院をはじめ関連病院である自衛隊中央病院などで、消化器内視鏡治療や総合内科診療を中心に診療に従事して参りました。
2020年からは自衛隊横須賀病院にて年間1000件程度の2泊3日の検診を担当し、生活習慣病に対する診療を行うだけでなく、横須賀市の地域医療や医学教育にも携わって参りました。
 私は18歳で特別職国家公務員に入職した際に、自衛隊法第39条にある服務の宣誓をいたしました。「~強い責任感をもって、専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務に務め、もって国民の負託にこたえる」ことを誓いました。この信念は自衛隊医官を退官した今でも変わりありません。

国民の皆様の悩みを一つでも減らし、安心して幸せな生活を送れるようにするために努力していきたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。 
 

生い立ち

 両親に感謝

 1967年、薬学博士の父と専業主婦の母に武蔵野で生まれました。3歳で、自然のやさしさと歴史の豊かさに溢れた鎌倉に移住、横浜国立大学付属鎌倉小中学校で学びました。
 自立したたくましい子供の育成を掲げた小中一貫教育のおかげで、自律した行動がとれるようになったのだと、この学校への入学を導いてくれた両親に感謝しています。
 当時の文集を紐解いてみると、医師になりたい、と書いてありましたが、当時の大河ドラマの三田佳子さん主演の「いのち」などの影響があったのだと記憶しています。私の基盤を作ってくれた大切な幼少期~思春期でした。

防衛医科大学校入学

 日本大学薬学部で教鞭を取っていた父の影響もあり、幼少期からの念願であった医師への道への第1歩として、1987年防衛医科大学校に入学いたしました。
 心浮かれる大学生活のはずでしたが、いきなりの全寮制による集団生活、制服のアイロンがけにレベルの高いベットメイクが求められ、すべて五分前行動。
 同期生と支え支えられの毎日で、6年間切磋琢磨して参りました。この時の経験は唯一無二の体験ばかりで、この6年間で国民を守る強くて優しい医師になりたいという思いが強く芽生え、1993年医師国家試験合格し、自衛隊医官に任官いたしました。

自衛隊医

 任官し、初任実務研修後は、自衛隊中央病院や入間基地医務室で勤務、自衛官の健康と安全を守るための任務を遂行しつつ、通修というシステムにて防衛医科大学校病院に通いながら、消化器内科医としての研修を続けました。
 この時期では臨床だけでなく自衛隊の任務遂行に必要な知識と技量を磨く上で、貴重な経験を積むことができました。航空医官であった私は、操縦士の置かれている環境を調査する目的で戦闘機に搭乗することもありました。
 あの時のG体感は今でも忘れることはできません。

第2の故郷 岐阜

 入間基地勤務を終えた後は、研究に没頭した4年間を防衛医科大学校研究科(医用電子工学講座)で過ごしました。卒後は、自衛隊岐阜病院内科科長として、岐阜に赴任。

初めての単身赴任生活を体験しました。病院といえども、全体で医師が10人もおらず、受診された自衛官なら何でも診なければなりません。簡単な外科処置ができるのもこの時期の修業のおかげです。長女は県立岐阜病院で出産、この時の主治医は同級生で今でも繋がっています。
 病児保育なんて無い時代でしたので、熱発している娘を勤務明けの看護婦さんに預け、私は勤務ということも多々ありました。長女は自衛隊岐阜病院の皆様に育てていただいたようなもので、岐阜は第2の故郷です。

自衛隊横須賀病院

 岐阜勤務の後、入間基地の航空医学実験隊を経て、2008年より自衛隊横須賀病院勤務となりました。
横須賀市の田浦港町の病院で、母のご先祖様が眠る静円寺の目の前です。航空自衛隊の病院から海上自衛隊の病院への異動で、しきたりの違いに戸惑うこともありましたが、16年間の勤務の間で、艦艇のことはだいぶ詳しくなりましたし、管轄する2万人くらいいる隊員の胃腸の内視鏡所見はほとんど把握しておりました。



これから

 ただ、自衛隊員は異動が多く、経過をずっと診て差し上げることができない、隊員は男性が多く、女性に大腸内視鏡検査を普及させたいという思いが実現できない、健診結果を日常生活にフィードバックしようにも、決められた生活パターンを強いられる自衛官にはトータル的な指導ができないなどの制限がかかっています。
18歳の時に宣誓した、自衛官だけでなく、国民全体の負託に応えようと、今回防衛省を退職し、私の思いと同じ方向性を持つ当院で勤務させていただくことにいたしました。
 受診に来ていただいた方々の目線に立ち、寄り添い、皆様の症状が軽減し,安心して安定した生活が送れるようにお手伝いさせていただければと思っております。よろしくお願いいたします。

 

モットー

強い責任感をもって、専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務に務め、もって国民の負託にこたえる

プロフィール

誕生日1967年8月29日
血液型A型
趣味おかずの作り置き トイレ掃除

経歴 

1993年

防衛医科大学校卒業

1993~1995年

防衛医科大学校病院及び自衛隊中央病院にて初任実務研修

1995~1998年

航空自衛隊中部航空管制団基地業務群衛生隊勤務

1998~2002年

防衛医科大学校研究科(医用電子工学)

2002~2006年

自衛隊岐阜病院診療部

2006~2008年

航空医学実験隊

2008~2024年

自衛隊横須賀病院診療部

専門科

  • 消化器内科

取得資格

  •  日本内科学会 総合内科専門医
  •  日本消化器病学会 専門医
  •  日本消化器内視鏡学会 専門医・指導医
  •  日本ヘリコバクター学会 認定医
  •  日本医師会 産業医

所属学会

  • 日本内科学会
  • 日本消化器病学会
  • 日本消化器内視鏡学会
  • 日本肝臓学会

女性医師のご紹介

当院では女性医師による内視鏡検査(胃カメラ・大腸カメラ)を実施します。
女性医師の検査をご希望の際は土曜日での検査予約をお願い致します。
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